志穂美 悦子(しほみ えつこ、1955年10月29日 - )は、日本の女優・歌手・フラワーアーティスト。 海外ではSue Shiomi の名で知られ、日本で初めて女優自らスタント・擬斗を演じ、1970年代から1980年代にかけて活躍した。ジャパンアクションクラブ (JAC)
45キロバイト (5,001 語) - 2022年6月29日 (水) 17:12

1 朝一から閉店までφ ★ :2022/07/03(日) 12:34:57.58
7/3(日) 10:00配信

東スポWeb

【今週の秘蔵フォト】米映画界では「キル・ビル」「チャーリーズ・エンジェル・シリーズ」など、女優主演のアクション映画の傑作は数多いが、日本映画界では「女性アクションスター」という言葉は、ほぼ死語と化してしまった。そんな中、1970年代から80年代にアクション女優として圧倒的な人気を集めたのが志穂美悦子だ。

【ザ・アクション!】20歳志穂美悦子の飛び蹴りポーズ!

 72年に日本屈指のアクションスター・千葉真一が主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)のオーディションに合格して入門。73年に千葉主演の「ボディガード牙」でデビュー。74年には「女必殺拳」「女必殺拳 危機一発」が大ヒットして一気にトップ女優の座に上り詰めた。「東映のドル箱女優」と呼ばれた人気絶頂期の76年5月15日付本紙ではインタビューが掲載されている。

「千葉真一さんの大ファンだったんです。千葉さんのJACにどうしても入りたくて手紙を出しました。中学、高校で陸上の選手だったから自信はありました」。72年8月に合格。しかし待っていたのは地獄の猛特訓だった。「毎夜7時から9時までアクションを徹底的に訓練されました。空手、少林寺拳法、マット、トランポリン…。千葉さんの前で泣いたこともあります」と振り返った。

 豪快なアクションだけでなく端正なマスクと均整の取れたプロポーション、清楚な雰囲気が人気の要因となった。76年には千葉主演のドラマ「七色とんがらし」(NET=現テレビ朝日)ではアクションなしで出演。女優としての幅を広げた。

 当時20歳。「(理想の男性は)スポーツができて、物事にこだわらなくて、男性的で一本筋が通っていて笑顔に包容力があり、ニヒルな面もある人。結婚は30歳くらいまでに」とかなり難しい理想を掲げている。

 しかしその言葉通りに87年にはドラマで共演したまさに理想通りの男性・長渕剛と結婚。同時に芸能界を引退した。現在はフラワーアーティストとして活躍中だ。(敬称略)

https://news.yahoo.co.jp/articles/3876f4674931516d3a932edafa63d606de6462bc